人生100年時代の後半に

人生100年時代の後半に突入。介護や仕事のことなど、シニアに向かう日々の暮らしの記録。

戻ってきた日常と母の世話

旅が終わり、日常が戻ってきた。
 

 

いつも思うけれど、旅を満喫してリフレッシュして、楽しいと思って風船のように大きく膨らんだ気持ちは、あっという間にしぼんでしまう。
 

旅のことはnoteに記録した

 
 
 
 

 

ニセコ近くの神仙沼。

ここは初めて行ったのは秋だった。

夏は初めてだったけれど、素晴らしい景色に出会えた。

だから、北海道はリピートしてしまう。

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こちらのカヌー(今回は尻別川)も何回目かだが、毎回楽しい。

秋のカヌーも楽しいらしく、それは別の場所でやってみたいと思っている。
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オムツからの解放

 

旅の間の中2日は、オムツから解放された。

でも、ホテルでも何回か起きてしまい朝までグッスリというわけにはいかなかった。

 

それでも母のトイレを気にしなくていいのはありがたかった。気が楽。

 

休みの最終日

 

休みの最終日前日に帰宅したので、最終日は洗濯や掃除、日常に戻るためのワンクッションの日とした。

 

朝起きたら、旅の疲れか体が痛かった。

筋肉痛だろうか。

 

最近以前は起きると朝食の支度をしていた父が、ソファにいて、起きているのに支度をしていない。

それで、私が作っているが、その分朝がバタバタしてもう少し早く起きないと、と思いながらなかなか体が起き上がれない。

作らなくても怒られはしないが(多分)、母がお腹を空かせたら可哀想なので何とかやっている。

 

母の世話で困ること

 

母の世話で困るのが、

  • 勝手に動く
  • 急に動けなくなる
  • 駄々をこねる

こと。

 

基本動けないのに、時折突然立ち上がって動いていることがある。

(これは、そういうこともあるらしい)

 

でも、持続しないので、気づいたらすぐ助けに行かないと転倒する。

先日も、何やら小さな声が聞こえて、見に行くと(私は他のところで掃除中)母が尻餅をついていた。

机の横で一つ間違えたら机の角に頭をぶつけていたと思うとヒヤリとした。

 

急に動けなくなるのは、トイレや身支度の時に急に動かなくなる。

足が上がらないと、オムツ(リハビリパンツ)も取り替えられないし、そもそもトイレにいたら、そこから連れ出せなくなるし、時間だけが無駄に過ぎていく。

 

駄々をこねる。

これは夜に多いが、寝る支度の時に急に言うことを聞いてくれなくなる。

ただ、私に余裕があれば母のしたいように自宅に付き合えばいいのだと、書いていて思う。

つい、面倒で私もくたびれるから、母が駄々をこねたら、諦めて適当に済ますこともある。

母自体も洗面で立っているのがくたびれるらしく、すぐ身体が痛いと始まるので長々ダラダラとはできない。

よろける母が後ろに倒れないように支えながらの歯磨きと洗顔は最初は慣れなくて。

 

他にも食べこぼしとか、薬の副作用で涎が垂れることがあったり、諸々だが慣れるしかない。

 

 

要介護5

 

こちらのサイトによると、

 

要介護5とは?受けられるサービスや要介護4との違い|LIFULL介護(旧HOME'S介護)

 

要介護4と5の差は下図の通り。

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・最重度の介護を要する状態


・食事やトイレ、服の着替えなど生活全般に介助を必要とする。

→確かにその通り。


・身だしなみや掃除などの家事がほとんどできない。

→ほとんど、ではなく全くできない。


・立ち上がったり歩いたりすることがほとんどできない。

→家族が支えないとできない。


・立ち姿勢を保ったり、片足で立ったりすることができない。

→できない。


・全般的な理解の低下がみられることがある。

→曜日や日にちがわからなくなっているし、時々意味不明なことを言う。

 

今回の介護認定で4→5になり、ショックだったが、これを読むと確かにそうだなと思う。

 

両親との時間

 

今は大変でも、私は可能な限り、母を家で看たい。

看る、というよりは暮らしを共にしたい。

今の母は、表情も乏しいし、幸せなのかなと私が悲しい気持ちになることも多いのだが、見知らぬ場所(施設)に一人入って生活するより、家族といる方が幸せだと信じてやっている。

 

父が頑張れるうちは何とかなると思うが、一人では厳しい。

 

父や私の自己満足なのかもしれないが、やはり今時点で母を預ける気持ちにはなれない。

 

でも。

仮に母が私のことが分からくなり寝たきりになった時に預けられるだろうか。

 

友達はお母様がそうなった時、お見舞いに行っても自分が分からないし、話もそんなに出来ないから、行っても短時間で帰ってきていた、と聞いた。

切なく、胸が締め付けられた。

 

今は、限りある親との時間も大切にして毎日を過ごしたい。

日常もまた幸せならば、それが一番だ。

 

その買うを、もっとハッピーに。|ハピタス

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